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今、周りで「kinちゃん」と呼んでくれる人はひとりしかいない。
もうどこへ行っても長老組なのでみんな「さん」付けしてくれる。 昨夜は結成30年の会。 もともとは、とある小学校開校時の教職員の集まり。 当時、若手だった先生二人もここで定年。 その退職を祝う会が行なわれた。 集まったのは18人。平均年齢70歳、久しぶりの最年少。 この会の中では今も「kinちゃん!」 久しぶりにみんなに呼ばれて随分若くなった気がした。 最高齢が81歳。 男性1人女性3人の方がいらしたが、それぞれの81歳。 とても81には見えない若い方もいれば、立ったり座ったりにご苦労される方もいる。 まあでも、呑みに来ようというのだからみなさん元気。 うちの親父が生きていれば今年80歳。 成人病と呼ばれるほとんどの病気を経験して71歳で逝った。 母親も70歳で他界しているので、自分も生きて70までだと思うようになった。あと20年だ。 でも昨日、みなさんにお会いして元気でボケずに80歳。目指したいな・・と。 その為にはぼくの場合酒を止める。 これが一番手っ取り早い方法ではあるが、実行は難しい。 減らす+運動で勘弁してもらおう。 ボケの方は?・・ウクレレにボケ防止効果ってあるのかな? ただ弾いているだけじゃ大したこともなさそうだけど、 ステージに立つというのはかなりその効果が期待出来そうではある。 会のみなさんがいつまでもお元気で、 ぼくがいつまでも「kinちゃん」でいられますように。 # by awazi13 | 2011-08-17 21:54
1976年都立高校願書提出の日に雪が降った。
ぼくは同じクラスの仲間3人でその高校へ願書を出しに行った。 そいつらは別にバンドを組んでいたわけではないが音楽仲間であり、よくギターを弾いて遊んでいた。 ひとり飛びぬけて巧い奴がいて、そいつにいろいろ技を教えてもらっては弾いていた。 中3の文化祭で当時流行っていた、風の「22歳の別れ」をフォークソングクラブの7名で弾き語った。 恐ろしい事に7人ともアコースティック・ギターだ。。。 ボーカル&ギター1人、リードギター1人、あとは伴奏。 リードは飛びねけ巧い奴が担当。 きっとチューニングも全員がピッタリだったわけもなく・・ 聴いていた人たちはさぞかし辛かっただろうと思う。 でも本人達は初ステージに満足していた。 ぼくは伴奏オンリーのくせにかなり鼻高々であった。 そんなボーカルと飛びぬけと3人で願書を出しに行った。 高校へ行ったらバンドを組もうなんて言いながら・・ ギター3人で何がバンドだ?フォークトリオじゃないか!と思わなくもな かったが、その時は夢の中にいた。 願書を提出して、学校へ戻り教室へ向かう。 近場提出の奴らはもう帰宅しており、僕たち以外教室には誰もいない。 帰ろうと言いながらも誰も帰ろうとはせず、教室の電気も点けずに机に腰 掛けくだらなくも大切な話をしていた。 ボーカルと話が途切れた時、飛びぬけはひとりで窓を開けて校庭に積る雪 を見ていた。 ふたりで近寄ると彼は 「雪だよ・・」 「ここで見る最後の雪かもな?・・・・・憶えておこうぜ」 外の雪から目をそらさず大真面目に言った。 この時の雪の反射でレフ板あてた様に白く映った彼の顔と白い鼻息は忘れない。 3人はそれから暫く校庭に降る雪を見ていた。 結局、3人は同じ高校へは行かずフォークトリオは組めなかったが・・ おい、ふたり!俺はあの日の雪、忘れてないぜ! # by awazi13 | 2011-03-03 22:01
紙芝居は外で飴玉しゃぶりながらではなく、保育園で座って見た。
昭和5年に誕生した街頭紙芝居は昭和10年前後に1次の最盛期を迎えたが、 戦争による子供達の疎開や演者の召集などで衰退。 戦後すぐに盛り返すもTVの出現で昭和28年をピークに急激に衰退していった。 ぼくが盛んに遊んだ子ども時代は昭和40年代だから、まだ多少は演者がいただろう。 しかし、街頭紙芝居を見たという揺ぎ無い記憶がない。 記憶の中のスクリーンにそんな風景がゆらゆらとぼやけて見えている様な気がするが、 これはTVなどで観たそんな場面が現実と摩り替わっているのかもしれない。 保育園での紙芝居は「黄金バット」などの娯楽スペクタル物ではなく 教育の一環としての紙芝居だった。 いくつかの話があり、先生が3日に1回だか1週間に1回だか忘れたが、読んでくれるのだ。 大半は面白いものではなく、退屈な時間だった。 しかし、ひとつだけ最高に楽しいやつがあった。それが赤痢菌の紙芝居である。 内容は確か手を洗わないでご飯を食べた子供が赤痢菌に感染して、苦しむというもので、 みんなも手を洗わないとこの子みたいになっちゃうよ!って感じの話だったと思う。 紙芝居の時間に先生がみんなに聞く「なんのお話が良いですか?」 すると園児達は一斉に「せーきーり~!」 「赤痢はこの前話したじゃない、今日は違うのにしようよ」なんてことを言う。 「だったらはじめから聞くんじゃね~よ!」とは、この頃は言わない。 こういういけない言葉を吐くにはまだ10年の歳月が必要だった。 可愛いぼくたちは「えーー!」と遺憾の意を表明して終わる。 そして、先生は少数派の意見を取り入れて何だか違うものを読んでくれた。 こんなふうに子供達には絶対の人気を博していたのが「せきりのななし」だったのだが、 先日、職場で何かの話のついでにこの事を言ったら、ひとつ歳上の姉さんが反応してくれた。 彼女はぼくと住んでいた地域は違うがこの紙芝居を通っていた幼稚園だか保育園で見たという。 やはりそこでも人気があったそうだ。 もしかしたら当時、東京中の、あるいは日本中の子供がこの紙芝居を 見ていたのかもしれない・・・なんて事を思った。 紙芝居の中の赤痢菌は黒くて槍を持った姿をしていた。 誰にでも容易に想像できる悪魔の姿なのだ。 これが手洗いしない子の手や食べ物に付いて不敵な笑いを浮かべながら口から入って行き、 体の中で悪さをする。しかしそれが、石鹸で手を洗われると手に付いているこいつらは 泡の中で非常に困った顔をしたり弱ってしまったりするのだ。 ぼくたちはそれを見て喜ぶのである。 勧善懲悪?悪が滅びるという子供達の好きなヒーロー物の要素がちゃんと入っていた。 こんなところに子供たちは引きつけられたんだろうな。きっと。 もう一度観てみたい、それは赤痢菌の紙芝居なのだ。 # by awazi13 | 2009-12-13 16:23
ウクレレサムシングというライブイベントが毎月新宿の「レノンハウス」という
ライブハウスで行われている。 ウクレレ弾きが集まっては日頃の成果を人前で発表する。 去年の5月に初めて1人で参加させて頂いたが、今年はモトリーヌと2人。 2009.5.17 朝6時半起床。もう少しゆっくりでも良かったのだが心がざわざわして寝てなどいられない。 だったら練習すれば良いものを、PCつけて書き込みしてみたりして・・時間だけが過ぎる。 朝9時から2時間スタジオを押さえてあったので最終チェック。 その前にスタジオ近くのスタバで朝食。8時40分。 はじめてのひとりスタバ。卵ハムサンドとコーヒーをオーダー。 コーヒーがショートのくせに大きいのに驚く8時45分 サンドをコーヒーで流し込み出陣。 スタジオで相方と合流。 ところが、最終チェックどころか今までした事もないようなミスをする自分に唖然となる。 大丈夫か?・・俺、状態。 11時、不安を抱えライブ会場のある新宿へ。 昼食を食べ、コーヒーを飲み「レノンハウス」へ着いたのが1時半前。 会場に入るとすでに我らのレレ仲間が来ていて嬉しくなるも緊張が高まって来る。 出演者やお客さんが右往左往する中、主催者T-ZOのお二人に挨拶。 その頃になると緊張の波が寄せては返しまた寄せて防波堤を越えそうな勢い。 T-ZOwithえびちゃんのOB-LA-DI,OB-LA-DAで幕を開ける。 「スタートにふさわしい曲ですね」と相方モトリーヌ。 言われれば確かにと思ったが頭は自分事で精一杯で他の事は考えられない。 出は4番目。3組目の達人2人組チキンハートの演奏が始まる頃にはウロウロソワソワと レノンハウス前の廊下を行ったり来たり楽器を抱えてみたり置いてみたり、落ち着かない。 おふたりの素晴らしいテクを拝見したかったのだが、その余裕はこの小心者にはない。 申し訳ないと思いつつもまたウロウロ・・。 その頃相方といえば一番前の席で達人の演奏を聴いていた・・胆の据わった人だ。 そして、いよいよその時はやって来た。 1曲目・・イパネマの娘 ウクサムに出られると決まった時に、5月→初夏→気持ち良いサラサラの晴れ →イパネマの娘と流れる様に頭に浮かんだのがこの曲。しかし、当日はどんより曇り空。 出だしはスムースだったけど、2番からの自分のパートで固まり、音が出なかった箇所あり、 崩れそうになるも何とか立ち直る。 相方は、緊張はもちろんしているのだろうが、音にそんなそぶりは感じられない。 2曲目 過ぎ去りし永遠の日々 アコーディオン奏者のCobaさんが作曲した名曲。 昔、古館一郎のおしゃれ関係という番組のラストで手紙を読むコーナーがあったのですが、 そのバックで流れていたのがこの曲。 相方モトリーヌのピアニカをメインに私はひたすらバッキング。 ここで少し自分を取り戻す。 3曲目 Till there was you ビートルズがカバーした曲。 好きな曲なのだけど難しい曲でもありました。 次は日本語の歌にしよう。 この頃になると喉の渇きをおぼえ始める。 4曲目 コーヒールンバ 元々は誰の曲なんでしょう?いろんな人がカバーしている曲です。 当初一番自信があったこの曲も練習段階で何度もあり得ない様なミスをしておりまして、 安心できない曲だったのですが、おおむね成功。 以上4曲のステージでした。 去年ひとりで立った時に感じた、体全体の筋肉が硬化するほどの緊張は無かったものの はじめはチトびびってました。 でもやっぱりウクサムのステージは楽しい。癖になるというのが分かる。 みんなの聴くのも勉強になるし、楽屋裏(廊下)での立ち話も楽しい。 そして、終わった後の爽快感、開放感は何とも言い様のないものでした。 また、その後のビールが旨いのよ!これがっ!! 主催者のT-ZOのおふたり。 司会進行、演奏はもちろんですが、話も上手でうらやましい。ありがとうございました。 それから持つべきものは友達。わざわざお越し頂き感激しました。 ありがとうございました。 今回感じたのは、音楽ってひとりよりもふたりの方がより世界が広がって楽しいという事。 最後に、いつも笑顔で何事にも動じない素晴らしいミュージシャン、モトリーヌに感謝します。 あ~りがとな~~~!(桑っちょ風) # by awazi13 | 2009-11-22 22:28
山は一面の紅葉。
ここは信州大町の山中の温泉宿。 紅葉のど真ん中で僕は朝の露天風呂に浸かっていた。 山の締まった空気が温泉で火照った体に気持ち良い。 全身に赤や黄色をまとった木もあれば、緑を残しながら先の方だけ 色を変えている木もあり、よく見るとそれぞれに味がある。 来年50歳、人生の紅葉の時は近いのかもしれないと そんな木々を見て思った。 紅葉は朝晩冷え込む事できれいになるという。 ならば浮世の災い事は老いて咲く為のもの。 そう思えば少しは元気も出る。 そして、散り際にこんなきれいでいられたら良いな~・・なんて・・ 柄にもない事を、他に誰もいない朝の露天風呂で 頭の上を流れる大きな白い雲を眺めながら考えていた。 # by awazi13 | 2009-10-26 22:29
カーペンターズで有名な(They Long To Be)Close To You
ローGを抱え、歌本を見てコードを押さえて弾いたらアラ不思議!そのままメロディ。 これはウクレレソロになるかもと、アレンジに挑戦したのは去年の冬。 コードチェンジしながら空いている指をちょこちょこ動かしていたら、 ぎこちなくも名曲が姿を現し始めた。 でも、その時は完成しないまま放置。 たま~に思い出して弾いてみるが先を作ろうとは思わない。ダメな奴。 なのに今日は、何か指令を受けたかの如く急に思い立ち、再チャレンジ! 完成とは言い切れないけど、去年考えたものより完成度は増した気がする。 いくつかある悩み箇所も弾いて行けばまた何か思いつくだろうと・・。 しかし、個人で弾いている分には初ウクソロ編曲作品でもあり、いくら弾いていても 気持ち良いのだけど、他人に聴かせるとなるとバックが必要かとも思う。 ウクレレ1本で弾き切るには、まだ編曲能力及び腕が足りなく飽きられるかもしれない。 ここからもう1本レレがコード流してとか、間奏はピアニカ?口笛?とか エンディングは思い切ってコーラス?とか妄想は暴走する。 自分で組み立てたものって、あーだこーだやっているうちに自然に体に入っているから 暗譜とか考えるまでもなく勝手に弾けてしまうのが良い。 また曲を見つけて作ってみたいが、いつになることやら・・。 # by awazi13 | 2009-08-27 23:39
忘れられない匂い。
正確には忘れていたのだが、それを嗅いだ瞬間に記憶を呼び覚ます匂いがある。 そのひとつが蚊取り線香。 少年時代は今の様にべープなどの化学兵器はなく、蚊を退治するには 手か殺虫剤か蚊取り線香であった。 当時、クーラーなど無い我が家は網戸から外気を取り込む空冷式であった為 どこからか蚊が入って来ては誰かを吸血していた。 特に寝ている時にあの羽音はたまったものではない。起きたくはないが、 そのままでは眠れないので、仕方なく電気をつけて眼を凝らすことになる。 そんな通気性の良い家でも、蚊取り線香の匂いはしみ付く。 例えば夏休み、早朝クワガタを探しに行って帰って来た時、 まだ両親は寝ており、閉め切った家に蚊取り線香の匂いが充満していた。 起きた時には気づかないが一旦外に出て戻ると分かる夏の匂い。 今でもあの匂いを嗅ぐと少年時代の夏の朝の風景を思い出す事ができる。 ぼくにとってはちょっとノスタルジックな匂いなのだ。 # by awazi13 | 2009-07-31 22:59
高校1年の同級生に不思議な女子がいた。
ぼくの中では宇宙人だった。その証拠にちゃんと名字に星の字が付いていた。 アニメなどでも必ずこういうヒントが名前に隠されているものだ。 学校での1日をほとんどひとりで過ごし、休み時間は誰とも話さず一人で ノートに何か怪しい言葉を書いていた。 ある日同級生男子が「それ何?」って聞いたら「自分だけの言葉」だと答えたらしい。 それ以来30年彼女は自分だけの文字を持つ不思議な女子の振りをした宇宙人として ぼくらの記憶に収まっていた。 先日の同窓会でも行方不明者となっており彼女の不思議さは更に拍車がかかった。 しかしその同窓会2次会で彼女はドイツ語、フランス語が堪能だったという新情報が 1年の時に同じクラスだった女子によってもたらされた。 女子にも友達と呼べる様な人がいなかった彼女を知る数少ない人の言葉だった。 これにより自分だけの文字は、実はこれらの言葉もしくはその組み合わせだったのでは ないかという、まるでネッシーは嘘だったんだと証明されてしまった様なつまらない 話に落ち着いてしまった。 でも、ぼくは信じたい。 何億光年も彼方で銀色のスーツを着て頭からツノを出している彼女がいる事を。 # by awazi13 | 2009-02-17 23:26
※ これは5年前に書いたものです。
ジョンが40歳で凶弾に倒れて23年が経ち、当時、20歳だったぼくはジョンの歳を 3つも越してしまった。 このシリートークの中の「音痴2」にも書いたが、ある日音痴の少年(ぼく)が ジョンの歌と音程を合わせられたところから音楽の楽しさを知り 聴くだけからやる側になっていった。 今でもギターを弾いて歌っているのは彼がいたからである。 彼の魅力はその歌声自体にもあると思うのだが、本人は自分の声をあまり好きでは なかったらしい。 個人的に鳥肌が立つのはミスタームーンライトの頭の叫びだ。 まさにチキン・スキン・シャウトである ビートルズの曲はレノン=マッカトニーの合作と表記されているが、 実際は2人で作った曲は少なく、個人個人で作詞・作曲していたという。 メインボーカルをとっている人が作ったと思われる。 5年間音楽活動を一切せずに育児に費やし、1980年にアルバム 「ダブルファンタジー」を作り終えて、これからという時に射殺された。 確かこの犯人は自分がジョン・レノンだと思い込み、この世にジョンは2人いらないと 本物を殺してしまったということだったと記憶している。 その日、夕方家に帰ってきてジョン・レノンが死んだと知った。 なんで知ったのかは忘れてしまったが、トイレの中で泣いたのは憶えている。 あの日、世界中で彼のことを思った人はどれ位いるのだろう? ビートルズ好きの中・高年なら「あの日、何してた?」と聞けばみんなが 思い出せるのではないだろうか。 黙祷を捧げた人、辛くて呑んだくれていた人、抜け殻になってしまった人、 一日中レコードをかけていた人、歌っていた人、犯人を殺してやりたいと思った人、 そして、中には喜んだ人もいるだろう。 今日ジョンが降りて来て曲を授けてくれやしないかと思いスタジオに行ったが、 そんな了見の奴の所に現れるほど暇ではないみたいだ。 2003/12/8. 21:50 ジョン・レノンを聞きながら。 # by awazi13 | 2008-12-08 21:37
今、勤めている学校では来週の土曜日に運動会が行われる。
調理員の我々も、もちろん裏方で参加する。 ぼくの場合は用具係のケースが多い。ゲームに使う大玉やポール、玉入れセット等を 校庭の決められた場所に配置したり、引っ込めたり、消えかけた白線を引きなおしたり、 終わればテントを片付けたりする仕事だ。 大体は用具係の生徒が動くのだが、彼らの手が足りなくなったりすると、やおら登場する。 まるで、時代劇に出てくる出来の悪い用心棒の様だ。 声がかかるまでは酒などを呑んでおり「先生方、お願いします」などと言われると 「うむ」とひと言つぶやき刀を持って出て行くあれだ。 TVでは切られて画面の隅に消えて行くが、我々は終われば定位置に戻り、また 「先生方、お願いします」の声を待つ。 何だか居場所があるようでないような、そんな仕事である。 まだ、調理員になりたての頃、生徒数の少ない学校であったゆえ、 嵩を増す為に高学年のリレーに先生チームで参加したことがある。 女性やおじさん先生が4、5年生達と走った。ぼくは23歳と若かったこともあり 6年生との対決だった。 学生の頃はクラスで1番でこそなかったが、そこそこの走りをしていたので 自信はあった。小学生相手に何を力んでいるんだ!と思うかもしれないが その場に立つと若さもありついつい力が入ってしまうのだ。 2位でバトンを渡され、前を行く6年生の背中が見えた時、本気モードに シフトチェンジされた。その差が10mはあっただろうか。 ぼくの次がアンカー。20歳の男だ。同期の調理員、ルックスも良いが足も速い! そいつに渡すまでに少しでも差を縮めておきたい。追いかける!追いかける! 少しずつだが前を行く白い体操着の背中に近づいているのが判る。 いっそう気合が入った。だが、それと同時に思いもしなかった事が起こりはじめた。 足がもつれ始めたのだ。気持ちはそれでも前に向かっている。 脳が送る「もっと早く走れ」という命令に足の筋肉が一杯一杯で従えない。 身体がつんのめるとバランスを取ろうとするのか、手もぐるぐるとへんな動きをはじめる。 そして、その瞬間はやって来る。 今まで見えていた白い背中はトラックの白線と茶色い校庭の土に変り、衝撃と共に青い 空が一瞬横切り、土埃の中で現実を知る。 反省会で養護教諭が「今日は生徒、職員含めて怪我人はひとりでした」と報告している 横で、膝小僧に貼られた絆創膏に滲んでいる血をボーっと見ているぼくがいた。 思えばあれが老化とは思わないまでも「もう若くはないのだな~」としんみりして しまった最初の事件だったかもしれない。 # by awazi13 | 2008-09-26 22:35
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